ピカソの名作10選~知れば楽しくなる見どころポイントを紹介します!

ピカソの「名作」言えば、どの作品を思い浮かべるでしょうか?また、そんなピカソの名作といわれる作品は、他の作品とどんなところが違ってスゴいのでしょうか?少しでもそんな知識を持って見ると、絵画の見方も違ってくるかもしれません!このサイトでは、美術好きな私が選ぶピカソの名作10作品と、各作品の見所をご紹介します。

ピカソが生涯大事にしていた名作「ドラ・マールの肖像」。その理由とは?

ピカソが生涯大事にしていた名作「ドラ・マールの肖像」。その理由とは?

ピカソが描いた名作「ドラ・マールの肖像」の画面の中では、青、黄色、緑、橙と、何とも鮮やかな色彩が踊っています。人物の派手な色使いとは対照的に、背景は白を基調としており、そのコントラストが見る者の目を引き付けます。

ドラ・マール

また、描かれている女性もとても魅力的です。右手を頬にあて、わずかに微笑む女性の姿は、鑑賞する人を虜にしてしまいます。

この、不思議な魅力をたたえたモデルは、ピカソの愛人であったドラ・マールという女性でした。

彼女は、パリで活動する写真家で、ピカソの芸術活動に共感し、彼の創作活動の記録もしていたと言います。

特に、名作「ゲルニカ」の創作過程を写真に撮ったり、絵のモデルを務めたりと、ピカソの芸術活動に無くてはならない存在でした。

愛人としてだけではなく、お互いを刺激し合う芸術仲間として、ピカソはドラ・マールと切っても切れない関係になっていきます。

そもそも、ピカソと彼女が出会ったのは、1936年のパリのカフェでした。気持ちの揺れが大きく、芸術的な才気を持ち合わせた美女のドラ・マールに、ピカソはあっという間に虜になりました。

彼女と愛人関係を持つようになった時、実は、ピカソにはマリー・テレーズという愛人がいました。しかし、彼女は、ピカソの芸術活動にほとんど関心を示しませんでした。

そんな彼女に比べて、自分と対等に、芸術という舞台の上で付き合ってくれるドラ・マール。

ピカソとドラ・マール

ピカソにとって、愛と情熱を共有できる唯一の女性であったかもしれません。

そんな彼女を大切に想っていたピカソの感情が、この絵から伝わってくるようです。肌の色を黄色や桃色といった暖かな色を基調とし、優しい水色や緑で陰影をつけています。

また、わずかに微笑む口元と正面を見つめる視線からは、優しさと穏やかさが伝わってきます。

さらに、ピカソは自らが開発したキュビズムという手法で、彼女の魅力を表現しようとしました。

どんな表現を使ったかというと、色々な視点から見たモデルの顔を同時に描くというものです。

「ドラ・マールの肖像」に描かれた女性の顔をよく見ると、正面向きの顔と、横顔を同時に描いているのがおわかりでしょう。

右目と右半分の顔は正面を向いていますが、左側の顔は横を向いています。

モデルの色々な面を同時に描くことで、対象物の魅力を最大限引き出そうとしたのです。

ピカソは、数多くの名作を残しましたが、この「ドラ・マールの肖像」は、自分の手元に置きつづけました。

恋多き人生を歩んだ中で、愛と芸術的感性を満たしてくれたドラ・マールは、彼にとって掛け替えの無い存在であったのではないでしょうか。

ピカソは、絵を見るたびに彼女への愛を思い出していたのかもしれません。

ピカソの名作「泣く女」には、濃厚で華麗な恋愛事情が隠されていた!

ピカソの名作「泣く女」には、濃厚で華麗な恋愛事情が隠されていた!

ピカソと言えば、派手な色合いと、はっきりとした太い線で人物や物を描くのが特徴です。そんなピカソならではの表現を代表する作品が1937年に描かれた「泣く女」です。

泣く女

青、赤、黄色、緑等の派手な原色を使用し、女性がハンカチを食いしばって泣く姿が描かれています。眉が八の字に寄せられ、眼からは涙が流れ、口をゆがめてハンカチを噛む姿は、一度見たら忘れられないほど印象的です。

この絵の女性は、ピカソの愛人であるドラ・マールをモデルに描かれています。彼女は、とてもよく泣く人物だったので、その姿をピカソが好んで描いたとされています。

それでは、ピカソが好んでモデルにしたドラ・マールとはどんな人物だったのでしょうか。

彼女は、フランスの写真家で、芸術活動にとても深い理解がありました。その点でピカソとも相性が良かったようです。

さらに、ピカソはフランス共産党に入って、反ナチス的な思想を持つようになりますが、それも彼女が強く影響しています。

それというのも、彼女がユダヤ系の血筋だったため、当時、ユダヤ人を迫害していたナチスに反抗していたからです。

そんな、活発で自立したドラ・マールと愛人関係にあったピカソですが、実はこの時に、付き合っていた愛人がもう一人いました。さらに、正妻もいたために、派手な四角関係の恋愛模様を繰り広げていたのです。

そのため、彼の周りでは、女性同士の喧嘩もしょっちゅう起こっていたようです。ドラ・マールともう一人の愛人フランソワーズ・ジローが、ゲルニカを描くピカソの横で、取っ組み合いの大喧嘩をしていたというのです。

何とも濃厚な恋愛関係を持っていたピカソですが、そういった人間模様さえ、絵の材料にしてしまうのが彼の凄いところです。こうした愛人の泣き叫ぶ様子を「泣く女」として、題材に選び、シリーズ化していったのですから。

数ある「泣く女」シリーズの中でも、特に名作と言われる1937年の作品は、子どものような自由な表現を追い求めたピカソの特徴が良く出ていると言えます。

泣く

派手な色使いや自由奔放な形の組み合わせは、まるで子供が描いた絵のようです。

しかし、この作品にはピカソの緻密な作画技術も盛り込まれているのです。

例えば、画面の女性の顔を良く見て見ると、正面や横の視点から見た表情を同時に描いていることがわかります。

さらに、ハンカチを持つ手と、口元を覆う手を重ねて描いています。

つまり、色々な視点からの情景を同時に表現しているのです。

このように沢山の視点からモデルを描くことで、泣いている女性の表情や感情を鑑賞する人に、もっと直接的に伝えられるようにしているのです。

深い関係の愛人だったからこそ、ピカソはドラ・マールの表情や感情を手に取るように把握できたのかもしれません。

この作品から、恋多き男性としてのピカソの生き方が伝わってくるようですね。

ピカソの怒りがこめられた名作「ゲルニカ」。その見どころをご紹介!

ピカソの怒りがこめられた名作「ゲルニカ」。その見どころをご紹介!

ピカソと言えば、派手で華麗な色彩を思い浮かべる人は多いはず。

しかし、今回ご紹介する「ゲルニカ」は、白・黒・灰色のモノトーンだけで描かれています。

ゲルニカ

しかも、3.5m×7.8mという巨大なキャンバスの中には、泣き叫び逃げ惑う人の姿や、ガラガラと何かが壊れているかのような幾何学模様の塊が描かれています。

ただ事ではない画面の雰囲気から、観る人の感情を揺さぶってきます。

混沌とした雰囲気を持った作品「ゲルニカ」ですが、ピカソはどんなメッセージを込めたのでしょう。

もともと、ピカソの作品は、原色を使った派手な色彩と、幾何学模様を組み合わせた人物表現が有名です。幼少時の頃から、卓越したデッサン力を持っていたピカソは、写実的に物を描くのはお手の物でした。

フィンガーペイント

そのために、彼が理想とした表現方法は、子どもの絵のように自由奔放に描くことでした。そのために、実際の物の形や色にとらわれず、自分の感性が赴くままに描くというスタイルを創り上げていきました。

そんなピカソが、自分の持ち味である色彩を封じてまで描いた作品が「ゲルニカ」です。この作品に描かれているのは、第二次世界大戦の頃、ナチス率いるドイツ軍がスペインのゲルニカという町を無差別爆撃した情景だと言われています。

普通、戦争というのは、軍事的に重要な拠点を爆撃するものです。しかし、この時の爆撃は、一般市民も対象となっていました。

さて、ここでもう一度「ゲルニカ」を見てみましょう。

絵の中に描かれているのは、牛や馬、子どもを抱きかかえる女性、天を仰いで慟哭する人、地面に倒れた兵士と思われる男性等、一方的に虐殺された人の姿です。ゲルニカの無差別爆撃は、そこに暮らしている人の日常を根こそぎ奪っていきました。

ピカソは、当時、パリ万国博覧会に出品するために別の作品を描いていました。しかし、このゲルニカへの無差別爆撃を聞いて、テーマを変更したのです。

自分の母国スペインへの無慈悲な攻撃に対して激怒したピカソ。その怒りが名作「ゲルニカ」を生み出したのでした。

当時の専門家の評価は、あまり良くなかったようです。しかし、現代では、戦争に対する戒めの象徴として、多くの人に愛される作品となりました。

ピカソが描いた「ゲルニカ」は、パリ万国博覧会のスペイン館で展示された後、ニューヨーク現代美術館に展示されていました。1981年にスペインに戻り、現在はスペイン国立ソフィア王妃芸術センターに展示されています。

この巨大な絵画が、第二次世界大戦の戦禍を潜りぬき、無傷のまま現代まで残っているのは奇跡かもしれません。戦争の悲惨さが表現されている「ゲルニカ」は、争うことの無意味さを教えてくれます。